北海道函館の旅 その1「教会」編2026年06月23日


           函館山から見た函館市内
 6月17日から20日まで函館を訪れた。函館市は、北海道南部に位置する港町で、異国あふれる街並みと豊かな自然、美しい夜景で知られている。江戸時代末期に開港した歴史を持ち、日本と海外の文化が融合した独特の景観が魅力である。

 市内には、元町地区の坂道や教会群、歴史的建造物が点在し、散策するだけでも港町ならでの風情を楽しめる。函館山から望む夜景は世界的にも評価され、海に囲まれた地形が織りなす光景は訪れる人々を魅了する。今回は函館の「教会」および「修道院」について紹介する。

 元町に向かって、まず右側に「カトリック元町教会」がある。

カトリック元町教会正面

 カトリック元町教会は、異国情緒あふれる函館の街並みを代表する歴史的建造物の一つである。その起源は1859年の函館開港後にさかのぼり、1860年にフランス人宣教師によって最初の聖堂が建てられた。しかし、1907年の函館大火で焼失。現在の建物は1924年に再建された。教会はロマネスク様式を基調とした美しい外観を持ち、高さ33メートルの鐘塔が特徴である。徳川幕府が発布していたキリシタン禁教令が廃止されるのに先駆け、キリスト教宣教再開の象徴として、横浜、長崎に建立するカトリック教会と並び国内で最も古い歴史のある建物である。

 内部にはステントグラスが配置され、厳かで落ち着いた雰囲気が広がっている。祭壇はローマ教皇から贈られたものとされ、教会の貴重な文化財となっている。写真撮影は禁止であるが、訪れた人には内部紹介パンフのQRコードを読み取り「元町教会と祭壇の説明(レタブルムの説明)」を詳細に見ることができる。

 教会を訪ねる観光者は、聖堂の裏にある大切な遺跡があることに気がつかないことが多いが、ここには「ルルドの聖母」がある。

          元町教会の「ルルドの聖母」
 行ってみると洞窟があり、その上に高さ1.5メートルの聖母マリア像が飾られている。これが「ルルドの洞窟」と呼ばれ、安政5年(1858年)2月11日、ピレネー山脈のルルドという村の聖母マリアの出現を記念するものである。日本の建国記念日との偶然の一致から、ルルドの聖母は日本の教会で人気を集め、あちこちの教会や修道院にルルドの洞窟を飾る習慣が広がったと言われている。元町教会のは明治40年(1907)の大火後に出来た。

 元町カトリック教会を後にさらに進むと「函館聖ヨハネ教会」がある。

函館聖ヨハネ教会

 1874年に英国聖公会の宣教師Wデニングによって伝道が始まり、現在の場所に教会が建ったのは昭和11年(1936)年、当時は木造でノアの箱舟を創造させる形をしていたとのことである。現在の聖堂は1979年に再建された。白い外壁と大きな屋根が特徴的で、海を望む高台に位置するため、周囲の景観とも美しく調和している。教会は日本における聖公会<Holy(聖なる)Catholic(普遍的な)Charch(教会)>の伝統を受け継ぎながら、地域に開かれた礼拝と交流の場として親しまれてきた。内部は落ち着いた雰囲気に包まれ、ステントグラスから差し込む柔らかな光が神聖な空間を演出している。

           函館聖ヨハネ教会内部

 函館ヨハネ教会の隣には「函館ハリスト正教会」がある。

函館ハリスト正教会

 函館ハリスト正教会は、日本最古のロシア正教会である。1860年、初代司祭として来日したニコライ・カサートキン(聖ニコライ)が函館で布教活動を始めたのが起源とされている。

 教会は正式には「復活聖堂」<木造で十字架の形をした聖堂>と呼ばれ、主の復活を記憶して建てられ、国の重要文化財に指定されている。初代聖堂は1907(明治40)年に函館大火で焼失し、1916年に再建された。聖堂は白い壁と緑色のの屋根、大小六つの美しいドームが特徴である。

 鐘の音は「日本の音風景100選」にも選ばれ、「ガンガン寺」の愛称で市民に親しまれてきた。異国情緒あふれる元町地区を代表する建築物で、函館港を見下ろす高台からの風景も魅力である。

 内部には、美しいイコン(聖像画)が装飾され、ロシア正教の伝統と歴史を感じることができる。函館の開港とともに発展した国際交流の歴史を今に伝える貴重な文化遺産であり、教会建築と宗教文化の両面で高い価値を持つ観光名所となっている。内部の写真撮影は禁止なので、教会発行絵葉書で紹介する。

          重要文化財「函館ハリスト正教会 復活聖堂」

 函館元町地区には、カトリック元町教会、聖ヨハネ教会やハリスト正教会が近接しており、異なる宗派の教会が並ぶ独特の景観を形成している。函館の国際交流の歴史やキリスト教文化を伝える重要な存在であり、多くの観光客が訪れる人気のスポットとなっている。

 最後に教会に相応しいバッハの「 Bach's Softly Sunrise」をお届けして終わります。演奏は、1960年代に一世を風靡した「オイゲン・キケロ(Eugen Cicero」クラシックのジャズ化で成功したトリオのエレガントな演奏をお楽しみ下さい。
 演奏は下記URLをクリック願います。

https://www.youtube.com/watch?v=r83QRiD2Lew&list=OLAK5uy_lCbv8CAcUzcpNqS5hVAa3ImlkOIptKIFw

 北海道函館の旅 その2「修道院」編へ続く


北海道函館の旅 その2 「修道院」編 当別トラピスト2026年06月26日


          当別トラピスト
 前回の「教会」に続き今回は、「当別トラピスト大修道院」と「トラピスチヌ修道院(函館女子修道院)」について紹介する。最初に「当別トラピスト大修道院」について紹介。

 当別トラピスト修道院は、函館近郊の北斗市にある男子トラピスト修道院で、1896年(明治29年)にフランスから来日した修道士たちによって創設された。正式名称は「厳津シトー会灯台の聖母トラピスト大修道院」で、修道士たちは「祈れ、働け」をモットーに、祈りと労働を中心とした共同生活を続けている。毎日の生活は3時半の起床から始まり、1日7回の共同の祈り、個人の念祷、神のことばを味わう聖なる読書、労働、共同体集会などの間を均衡を保ちながら移行し、夜8時に聖母マリアへのサルベ・レジナ(キリスト教聖歌)を歌って一日を終える共住修道生活。フランスシトー修道会並みの戒律に基づいた生活である。

 修道院は函館湾を望む丘の上にあり、一直線に続く並木道や赤レンガ造りの建物が美しい景観をつくりだしている。

 現在も修道院内部への立ち入りは制限されているが、周辺の散策や売店の利用が可能である。特に、売店のソフトクリームは絶品である。その他北海道土産として有名なトラピストバターやトラピストクッキーの製造でも知られ、道南の酪農や乳製品づくりの発展にも大きく貢献した。

中世から続くフランスのシトー会修道院の伝統製法による発酵バター

トラピストバターと風味豊かなバターミルクがたっぷり入ったクッキー

 売店から登った正門の両側には、修道院の歴史を解説した展示室がある。

そこには、修道士の暮らしぶりや修道院で作るバター、童謡の「赤トンボ」や「野薔薇」の作詞者として知られる三木露風とトラピスト修道院のつながりについて、詳しく紹介されている。

 三木露風は1920年(大正9年)修道院長ジェラール・プウイエ師(のちの岡田普理衛)の招きで、当別トラピスト修道院の日本文学講師に就任。約4年間にわたり、修道士志願者たちに国文学・作文・美学などを教えた。露風は修道院での生活を通じてカトリック信仰に深く触れ、1922年(大正11年)の復活祭で夫人と共に洗礼を受けている。

 修道院での静寂な生活や自然環境が露風の創作に大きな影響を与え、修道院滞在中に詩集「良心」を執筆。また、代表作として知られる童謡「赤とんぼ」や「野ばら」がこの時期、この地との関わりの中で生まれたと言われている。トラピスト修道院の駐車場前の庭園には詩碑がある。詩碑には「日は輝やかに 沈黙し 時はおもむろに 移り行けり美しき地上の 断片の如く我命は 光の中に いきづく」と記されている。

            三木露風詩碑

 修道院の正面左の坂道を登ると、事前申し込んだ男性に限られ、それも決められた時間に少人数限定で入門できる。さらに、奥に進むと前回の「教会編」で紹介した「ルルドの聖母マリア」の案内板がある。案内板には、車両禁止、徒歩で約 20分。熊、ハチに注意と表示されていた。私は、今年スズメバチに刺されたこと、作並で熊に遭遇したこともあり見ることを断念した。

 売店前の駐車場にもどると、付近に「当別カトリック教会」があり地元では「リタ教会」と呼ばれている。司式には修道院の神父によって行われるが、女子禁制ではなく、毎日曜日の朝行われるミサには誰もが参加できるとのことであった。

カトリック当別教会

 「トラピスチヌ修道院(函館女子修道院)」に続く。



北海道函館の旅 その2 「修道院」編 トラピスチヌ修道院2026年06月26日


          大天使聖ミカエル像
 カトリック当別教会を後に次の訪問先函館市にある「トラピスチヌ修道院(函館女子修道院)」を訪れた。当修道院は、1898年にフランスから派遣された8人の修道女によって創立された、日本初の女子修道院である。 正式名称は「天使の聖母トラピスチヌ修道院」。厳律シトー会に属する修道女は祈り、労働、聖なる読書の3本柱を日課に共同生活を送っている。3時半の起床から、労働8時間、祈り8時間。19時45分の就寝(静養)という時間割で、日々規則正しく聖務に励んでいる。修道院内部は一般公開されていないが、前庭や資料室、売店を見学できる。赤レンガの建物や美しい並木道、静かな庭園は函館を代表する観光スポットとして知られている。

 修道院の入り口には冒頭の「大天使聖ミカエル像」が出迎える。第二次世界大戦の最中、修道院の大院長セシリア平田は修道院の将来を案じ、大天使ミカエルの助けを願った。その上、修道院が爆撃されなければ、お礼の印として、その像を飾る請願まで立てた。昭和28年(1953)この請願に応えてフランスからこの像が贈られたといわれている。聖ミカエルとは、神の軍勢を率いる天使、悪に打ち勝つ守護者、信仰を守る戦士として知られている。

悲しみの聖母マリア像

 さらに、進むと真っ白い大きな「悲しみの聖母像」がある。両手をひらいて人々を迎えいれる姿が聖母マリアの悲しみの心を表し、「悲しみの聖母マリア」と呼ばれている。

          司祭館と聖堂

 さらに進むと、司祭館と聖堂がある。左側の建物は司祭館で右側の丸みを帯びた建物分が、この修道院の中心的な場所である聖堂である。塀の向こう側は一般に開放されていない。修道女の聖なる祈りと生活の場となっている。

誤解される聖像:テレジア

 修道院を訪ねる観光客は、必ずといっていいくらい真っ白で大きな修道女の像をバックにして、マリア様の姿かと思い記念撮影する。像の奥にある説明プレートによると、別の修道会「カルメル会」の幼きイエズスの「テレジア」という聖人像である。この像の由来は、世界を歩いていたマテオ神父が来函され、修道院が気に入ったせいか、フランスに帰国後昭和11年(1936)寄贈された。 

 さらに進むと、この修道院にも当別のトラピスト修道院にあった「ルルドの聖母」があった。

          ルルドの聖母マリア
 付近には資料館兼売店がある。資料館の中央には一番目立つ大聖堂の中央祭壇がある。どいうわけか、北京から戦前の昭和初期に送られてきたといわれている。1968年までこの修道院聖堂で毎日ミサのために使用されてたとのことである。

北京から贈られた祭壇

 1人1人の天使の名前が面白い。向かって左の天使はアモール(愛)それからラオス(讃美)、ユビラシュ(喜び)、コンプラセンシャ(福楽)となっており、中央には聖体を掲げるキリストの像がある。売店には修道院産の「トラピスチヌバター飴」などが販売されている。

さらに出口方面に向かうと「旅人の聖堂」という建物がある。案内によると、「修道院を訪れてお祈りをなさりたい方のために、二千年の大聖年を記念して建てられたと」とのこと。

            旅人の聖堂案内版

旅人の聖堂

 早速入ってみると、小さな礼拝堂。退職して17年久しぶりの礼拝、厳かな気分に浸った。今回の4日間の旅、いずれも快晴に恵まれ感謝をこめてお祈りした。

 今回の旅は、函館の教会・修道院をテーマに紹介したが、締めくくりとして函館山から見た世界的にも有名な「函館の夜景」をお届けして終わります。

 最後に函館の夜景に相応しいFMラジオ番組「ジェットストーリーム」のテーマミュジックでもお馴染みの「ミスター・ロンリー」世界を代表するイージーリスニング・オーケストラ「カラベリ」の華麗で魅惑的な演奏をお楽しみ下さい。

          Mr.Lonely: Caravelli