映画「オッペンハイマー」を観て2024年03月29日



 映画「オッペンハイマー」は,クリストファー・ノーラン監督が、世界初の原子爆弾を開発した「原爆の父」として知られる理論物理学者ロバート・オッペンハイマーの生涯を描いた伝記映画である。2024年度アカデミー賞最多13部門にノミネートされ7部門で受賞を果たした作品としても知られている。
 この映画、米国では2023年7月から公開されているが、日本ではようやく、2024年3月29日に公開されることになった。

 昨年から、是非観たいと思っていたこの映画。早速、日本上映の初日に鑑賞したので報告する。

 ストーリーは2つの公聴会が基となって構成されている。一つは、オッペンハイマーが政府の公職から追われるまでの1954年の聴聞会である。

 もう一つは、オッペンハイマーと確執があるアメリカ原子力委員会創設委員であるルイス・ストローズの1958年に上院で開催された公聴会である。この部門は白黒写真で撮影されている。

 オッペンハイマーの栄光と挫折、苦悩と葛藤を描く途中休憩なしの3時間という長さを感じさせない程緊張を保ち続ける映画であった。
軍服を拒み、背広姿を貫くロスアラモス研究所長 オッペンハイマー
 広島・長崎の原爆投下に関するシーンは一切なく、原爆実験場の成果を表すシーンに留めている。この映画は「原子爆弾」でも「第二次世界大戦」でもなく、事実を冷静に描き、オッペンハイマーをエモーショナルに描いた伝記映画である。しかしながら、我々日本人にとって「広島・長崎」の原爆投下による悲惨なシーンの導入があれば、核戦争の恐ろしさを世界中に伝え、核戦争の抑止に繋がるかも知れないと思った。
 余談になるが、防衛医大名誉教授 中村宏氏の著書によれば、オッペンハイマーの兄が日本の原爆投下について以下の様に述べている。中村氏は、1963年ニューヨークのマウント・サイナイ病院泌尿器科レジデントとして留学した。その際、泌尿器科部長で米国の著名な泌尿科医「ゴードン・オッペンハイマー」に挨拶に伺うと「僕の弟が日本人に対して大変申し訳ないことをしたので、責任をもってお前の面倒をみてあげる」というようなことを言われ、実際非常に親切にしていただいた。後になって彼の弟が原爆の完成を指導した有名な理論物理学者ロバート・オッペンハイマーであることを知って驚いた。¹とあり、 オッペンハイマーが開発した「原爆」について、兄は心を痛めていた様である。
 最後にクリストファー・ノーラン監督はこの作品の製作経緯について、初めてオッペンハイマーの存在を知ったのは、子供の頃だった。ステイングの楽曲Russians がオッペンハイマーの死のおもちゃ(原爆)から、小さな子供を救うにはどうすればよいのかがきっかけで、彼のことを知り調べる様になったと述べている。それでは、彼がインスパイアされたスティングの「Russians」をお届けして終わります。

 「Russians」は1985年リリースされたソロアルバム「The Dream of the Blue Turtles」に収録。当時のアメリカとソ連の冷戦と相互確証破壊について書かれた曲である。

演奏は下記URLをクリック願います。<和訳付きで聴くことができます。>

https://www.youtube.com/watch?v=376SZvpqIQg&t=2s

 1.  中村宏「ジャズを求めて60年代ニューヨークに留学した医師の話」

ディスクユニオン社、2016年 ISBN978-4-907583-87-3

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