岩手県釜石市の世界遺産「明治日本の産業革命遺産:橋野鉄鉱山高炉跡」を訪ねて ― 2024年10月02日

大島高任は文政9(1826)年、盛岡藩侍医の子として生まれ、17歳から江戸、長崎、大阪で西洋の技術を学ぶ。その後、水戸藩に雇われ那珂湊に大砲鋳造炉である反射炉を建設。しかし、砂鉄原料の鉄では強度に問題があるため、良質な鉄鉱石に恵まれた釜石の大橋に洋式高炉を建設し、鉄鉱石から鉄を生産することに成功した。

大島高任 記念像
橋野鉄鉱山高炉跡の情報を入手するため、まずは「鉄の歴史館」を見学。
釜石駅から車で約10分、釜石大観音の近くに「鉄の歴史館」がある。当館は、大島高任の偉業と釜石の製鉄業に携わった先立ちの偉業を伝えるため、昭和60年(1985)に開館。
館内は最初に江戸時代に盛岡藩が大島高任の指導で鋳造した「橋野鉱山」で使われたいた高炉の一つ、「三番高炉」の原寸大模型が展示されている。レンガ部分だけでも約7mの高さがあり、暗闇の中にそびえ立つ威容にど肝を抜かれる。模型は赤やオレンジの照明で、溶が流れる様子を再現している。

三番高炉 原寸大模型
その他、鉄鉱石や高炉で作られた宝剣など、釜石の製鉄業に関する資料が揃って展示されている。
その後、釜石市郊外(車で約50分)の山中にある明治日本の産業革命遺産「橋野鉄鉱山」を訪れた。世界遺産に登録された明治日本の産業革命遺産は、釜石の「橋野鉄鉱山」単独ではなく、正式には「明治日本の産業革命遺産ー製鉄・製鋼・造船・石炭産業」の総称である。山口県の「萩」、鹿児島県「鹿児島」、静岡県「韮山」、岩手県「釜石」、佐賀県「佐賀」、長崎県「長崎」、福岡県・熊本県「三池」、および福岡県「八幡」の全国8県に立地し、分散している。
橋野鉄鉱山は、炭鉱石の採掘場跡、運搬路跡および高炉場跡により構成される鉄鉱山と製鉄の総称である。なお、鉄鉱石採掘場跡、および運搬路跡は非公開である。
川の上流南側から一番、二番、三番と呼称されている高炉跡がある。まずは、一番高炉から紹介する。一番高炉跡には、当時積み上げられた石積みがほとんど残され、大きな石は重さ2トン。高さは原寸大で7.8mと言われている。

一番高炉跡 高さ2.5mの高炉跡 原寸大は7.8m
二番高炉跡の石積みは不揃いである。これは、国定指定史跡に指定されるまで管理が行き届かなかったため紛失し、他の高炉跡とは異なり不揃いとなっている。

不揃いの二番高炉跡 原寸大の高さは5.5m
最後に三番高炉跡を紹介する。三番高炉は大島高任が一番最初の実験炉として建てた炉を後に
改良してもの。明治27年(1894)閉山まで稼働した最後の高炉である。

三番高炉跡 原寸大の高さは約7m
三番高炉跡の中に入るとの中央部に黒い塊がある。ガイドさんによると、橋野鉄鉱山から火が消えた時に最後に底に残った鉄で、磁石を近づけるとくっつくとのこと。家内が試してみると、やはりその通りであった。

底に残った鉄
橋野鉄鉱山、明治の最盛期には従業員1000人、牛150頭、馬50頭、年間生産量25万貫(約930トン)を生産する日本最大の製鉄所であった。
明治4年(1871)に一番、二番高炉が廃止。明治27年(1894)栗橋分工場の創業開始とともに橋野鉄鉱山は36年の幕を閉じ、以降は鉄鉱石の採掘のみ継続されたのである。
最後にこの季節に相応しい歌「Autumn in New York」をお届けして終わります。今回は私の好きなCharlie Parkerのサックス演奏をお楽しみ下さい。演奏は下記URLをクリック願います。

釜石市橋野鉄鉱山インフォメーションセンター
釜石市橋野町2-6 電話 0193-54-5250
開館日 4月1日~12月8日まで(冬期間休館)入場料/無料
釜石市立鉄の歴史館 : 釜石市大平町3-12-7
電話 0193-24-2211 入場料 一般500円
休館日 毎週火曜日・12月29日~1月3日
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